君たちはどう生きるか。

f:id:xxxxkun:20171122152027j:plain

どうもスナです。

僕は卑怯者です。

 

約1年前の事です。
 
タバコを拾っていると、おじいちゃんから声をかけられました。
 
稲毛駅はどうやって行きますか?
 
(ここから稲毛駅か....)
 
歩いて行くと...近くはないが遠くもない。
なんども右左折を繰り返して駅に着く。
 
だからと言って、タクシーやバスを使う距離でもない。
 
その距離は、あなたの家からコンビニまでの距離と思って頂きたい。
 
僕の直感であるが、おじいちゃんは70歳くらいだ。
 
「◯◯大学って書いてある建物の信号を右に....」
 
とか..
 
「20m先にY字路があって…」
 
など...
 
脳をいくらフル回転させてもキーワードが多すぎる。
70歳の記憶力を侮っているわけではないが、聞かれた分、わかりやすく説明したい!!と思うのは当然だ。
 
僕はいらない情報を削いでは、付け足し、紙に書いたら4行くらいに纏まるように説明をした。
 
 
「うんうん。。。あそこをね….」
 
相槌を確認しながら、説明下手を隠すようにゆっくりと話す。
 
 
説明が終わると、「どうもありがとうね」とお辞儀をしてくださり、その方向へ歩いていった。
 
僕は振り返り、その脚をずっとずっとずっと見ていることしかできなかった。
 
老人の姿が見えなくなった。
 
平日の夕方だ。
学校帰りの学生や、犬の散歩をしている主婦。
近くの公園にむかう小学生たちの姿に紛れ、おじいちゃんの姿は見えなくなった。
 
 
あの説明で大丈夫だったかな...
本当は分からなかったけど分かったフリをしてくれていたのかな…
スマホの地図アプリで説明したら良かったかな...
いや、余計に憶えるのが大変になるだろ...
なんでこんな時にメモ帳を置いてきたんだよ….
 
どうすれば良かったのかと、自分の気持ちが溺れるくらいに葛藤の津波をぶつけ続けた。
 
その答えはおじいちゃんが去ってからすぐに出てきた。
 
一緒に駅まで行く。
 
なぜすぐに「一緒に駅までいきましょう」と言い出せなかったのだろうか。
 
その言葉すら浮かんでこなかった自分が嫌いになりそうだった。
 
道を聞かれた=行き方を説明する。
 
この1つの選択肢しかなかった自分。
 
 
うまく説明をすることだけの頭しかなかった。
 
悔やんでいても仕方がない。
説明下手な若者と思われてもいいから、もう一度追いかけて今度は、
 
素直に謝ろう。「一緒に駅までいきましょう」と言おう。
 
 
一応、自分が説明した通りの道を追いかけた。
 
顔を思い返しながら、ひたすら走った。
 
いない。
 
帽子を被っていたな。
 
 
いない。
 
 
服とリュックの色はあれだ。
 
 
いない。
 
 
道を変えた。
 
いない。
 
 
イオンが見えてきた。
 
正面には稲毛駅の東口改札が見えてきた。
 
どこ?どこに。どこにいる?
 
 
 
ごめんなさい。
 
おじいちゃん。力になれなかった。
 
 
 
謝ってスッキリしたい自分がいる。どこまでも卑怯者だ。
 
 
稲毛駅に背中を向けて歩く。
 
 
どうもありがとうねぇ。が響く。
 
 
ふと、自分のおばあちゃんと重なった。
若者に道を聞いたのに、こんな結果だったときのおばあちゃんの悲しむ顔が浮かんだ。
 
 
壁のある世界で磨いた会話の技術。
知らない人には愛情を持たなくていいのか?
 
僕は生産関係という概念が好きだ。
面識のない、知らない人たちが必死に働いて生産された物を俺は使っている。
PCだって紙だって、ペンだって、服もそうだ。
 
高級車を乗り回し、大豪邸に住んでいるからと言って、必死に働いている人をバカにすることを許してはいけない。
 
 
その人たちのおかげで幸せに暮らせているのだ。
想像力がなさすぎて気づけていないだけで...
その人たちはもちろん知らない人だ。
 
大豪邸を建ててくれる知らない人がいるだろう。
高級車を製造する人、メンテナンスをしてくれる知らない人がいるだろう。
 
自分たち...自分は、知らない人に生かされている。
 
それに気づけなかった俺。
 
とことん使えない。
 
 
 
決して、いいことはしていないが、この経験はではない。
 
こんな痛い想いをする経験はそんなにないから。
 
そして、正解は一緒に駅まで行くことでもないと思う。
 
あの時は、一緒に駅まで案内するのが良かったかもしれない。
 
次はきっと違うだろう。
 
道を聞かれた=目的地まで一緒にいく。
 
この1択の僕がでてきてしまいそうで怖い。
 
 
 
僕が思う想像力は、疑うことをしなくなったあたりまえな事をもう一度、紐解けるか。
 
 
深く深く深く遠くまで自問自答をする。
 

 
 
僕がこの本を手に取ったとき、1年前の出来事を思い出して苦しんだ。
 
僕の想像力が無いが故に言語化できなかった苦しみを引き出し、更に痛みつけてくれた。
 
ただ、この経験は損ではないことを学べた。
 
痛みを知るところまで考えられない方が損である。
 
 
みなさんも経験はないだろうか。
 
 
電車で倒れた人を真っ先に助けに行けたか?
躊躇はしないか?
近い人が助けるかな…と一瞬でも思わなかったか?
 その一歩目は純粋に助けたいと思って踏み出したか?
 
 
分かっていてもカラダが上手に反応しないことがある。
 
今でもある。
 
賢く生まれすぎた人間の恥かもしれない。
 
恥と思っている時点で、他の目を気にしていることにもなるが。
 
 
 
この本を読んだ後に、
 
君たちはどう生きるか….
 
話し合いたい。
 
 
 
 損ではない。この経験。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
おじいちゃん、どうもありがとうねぇ。